平成22年7月 堺市指定文化財 名勝第1号 に 片桐棲龍堂庭園 が指定されました。 |
【解説】 片桐棲龍堂は堺区西湊町3丁に所在する老舗の漢方薬専門店で、敷地内には江戸時代後期 に建築された主屋をはじめとする国登録有形文化財(平成12年10月登録)の建造物があり、 国登録有形文化財(平成12年10月登録)建造物 主屋の東側には同時期に作庭されたと考えられる庭園が広がっています。 本庭園は、本来、二つの築山とその合間には枯滝石組(かれたきいわぐみ)が設けられ、 庭の周囲には枯流れ(かれながれ)が大きく回り込む形で作られ、流れの2か所に大振りの 石橋を架け、沢飛びを設けて庭園景としています。 支障木の移植と飛石の据え直しを目的とした復元整備が平成19年に実施された際に、 表土中に埋没あるいは植栽・地被類で隠れていた腰掛待合(こしかけまちあい)遺構、 砂雪隠(すなせつちん)、2か所の蹲踞(つくばい)、飛石等が発見され、 腰掛待合(こしかけまちあい)遺構、 砂雪隠(すなせつちん) 鑑賞本位の築山林泉式庭園と思われていた庭が、築山・滝・流れを配した奥山の景色の 中に作られた露地の形態・構成を持った庭園であることが判明しました。 現在、茶室遺構は検出されていないため、その場所や形態は定かではありませんが、 唯一残されている戦前の庭での集合写真から、待合の南側、枯流れをまたいで 四阿(あずまや)風な建物があり、茶室の一部であつた可能性が考えられます。 片桐家は、江戸時代後期には、茶道薮内流宗匠(家元)・六代目比老斎竹陰紹智 (ひろうさいちくいんじょうち)との交流があつたことが、同時代の当主肖像画賛よりうかがえ、 本庭園の作庭にも関わってくる可能性が少なからず考えられます。 堺市の旧市域は戦災に遭ったため、旧家には江戸期に遡るような庭園はほとんど 現存していません。その中で、戦災を免れた西湊町地域で以上のような露地庭と 推定できる庭園が現存していたことは貴重であり、堺の茶庭のたたずまいを知る上で 歴史的にも重要な庭園と言えます |