伝統漢方専門老舗
日本の伝統漢方 〜漢方の知識を取得し人生を謳歌しましょう〜 片桐棲龍堂 十七世 片桐 平智 わざわざ当店のホームページをご覧いただき厚く御礼を申し上げます。 古くからの累代の顧客様は当店のことはご存知ですが、近年ご紹介の顧客様が 遠方からお越しになり、また海外からの顧客様も有難いことに増加しつつあります。 色々な資料もその都度お渡ししていますが、骨子的な要点をまとめましたので御笑覧いただき、 堺の歴史的な流れと当店の歩みに御目をとめていただき、漢方の考えも心の奥底に お留めいただければと思っています。 近年は海外(イタリア・ドイツ・中国・ベトナム)より高名な美術館長博物館長、 はたまた医療関係者高官の方々の表敬訪問を堺の雛の小さな店舗に御受けして 身の引き締まる思いであります。 どうか日本伝統医学を次世代に伝搬していただければ嬉しく思います。 片桐棲龍堂へ来られた来訪者をご覧ください。ここをクリックしてください 装いを新たに店舗販売業へと業態変更しましたが、取り扱い品目などは従前どおりですので 一度店舗に御来店賜り、近々の漢方の知識、進捗状況を御理解賜り一層のお引き立てのほど 宜しくお願い申し上げます。 堺の名医と当家の歴史について 堺は古来より諸外国と交易が古く、 薬種が容易に入手でき、医学の始まりも堺や和泉地方を 中心に展開したといっても過言ではないと思います。 応仁・文明の乱 (西暦 1466年〜1477年)で荒廃した京都から一時期堺に文化が移転し、 最新の中国医学も堺から伝播されました。 名医としては半井(なからい)家と竹田薬師院家があります。 半井家においては明の時代武宗皇帝が病に倒れた折に三国の名医を探したが見当たらず 初代半井明親が渡海して治癒し、御礼に驢馬を頂き、驢庵と名を号しました。 この時点で日本の漢方が中国を陵駕していたのです。 また、半井家が過去に所有し、一千余年以前の平安時代に丹波康頼が撰述した本邦最古の 医書「医心方」も堺に天文二十三年(西暦1554年)正親町(おおぎまち)天皇より 半井家に御下賜され、その後皇家から保管を累代に亘り委ねられていたのですが 半井家の方々も堺大空襲からも守られ、 重責に感じられ近年、朋友のオリエント出版の野瀬真様や 古書店の大阪の中尾書店、東大前の井上書店の店主の方々の奉仕で国が買い上げて 「国宝」 指定となり、現在千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館に収納されています。 はるか中国や朝鮮の今は散逸した医学文献が所々に窺われ人類の宝とされています。 半井家の処方も堺発信で、救心製薬鰍ゥら日本独自の健脳生薬製剤として出されています。 また、ご存じないかと思いますが、近年この医学歴史や疾病の歴史で専門の三木栄医師の ことも少し触れておきます。朝鮮総督府の医師で在官中に膨大な朝鮮王朝や中国の医学歴史の 研究に没頭し、名著朝鮮医書誌を昭和二十六年に文部省の援助で刊行され、研究者の必読書と なっていますし帰国後膨大な医学古書を収集研究されました。没後、医心方の異本の「瑠璃壺」は 散逸を恐れ井上書店より当方が惜譲されて書架に収まっており、京都半井家主催の護王神社の 医学展覧会に出品したこともあります。 最近の漢方の話題と知識について 漢方の最近の話題と知識を簡単に述べさせていただきます。 強い匂いや服用しにくい薬剤の形状などの古いイメージは一部を残して殆ど払拭されています。 有り難いことに当家の経験知識で上市された薬物が可也ありますので説明します。 日本の製薬メーカーではまず牛黄(ごおう)の純末です。 牛の胆石で豪州産が高品質、解熱・鎮驚(ちんきょう =不安を解消)・鎮痙(ちんけい=けいれんを抑える)の 効能があり松浦漢方及び東京大学のご協力で製造許可を取得しました。 牛黄はインドの「最勝経」にも記載の薬物で、疲労の烈しい時や過去に胸部疾患に罹患した方の 養生や酒毒の解法、介護の果てしなき精神疲労の支えや末期の肉体的及び心理的な苦痛の 寛解(かんかい=病気の症状や異常がなくなる)に使用されますが、数年前、薬事法の改正で 合法的な販売製造の中止が懸念された折、当家と東大寺修二会と牛黄の関係や皇家の風習、 また日本各地の仏教や神社での宗教行事での国家的な牛黄の合法的で安全な品質を用いた 諸行事の続行困難性を説明し、行政監督諸官庁のご協力で継続できることとなりました。 松浦漢方 (株) も特許権利を放棄、製薬会社も追加承認申請に踏みきられ、日本の数百箇所の 神仏の行事が永劫に続行可能となりました。数代続く古くからの顧客様は医学用途以外に 昔からの風習として、来迎の所作として本品を購入される方もございます。受注生産品となっています。 牛黄と片桐棲龍堂はここをクリックしてください 次に伊吹陀羅尼助丸です。本品は奈良の吉野山系の修験者が好む薬品で、 黄檗(おうばく)が 主成分の胃腸薬で地方では百草(ひゃくそう)、練り熊(ねりくま)などとも称されています。 当麻寺でも製造されています。 今後日本が批准するであろう新しい医薬品の基準により、製造困難な局面が予想されるので 廃業するメーカーより委譲をお受けして滋賀県の薬事指導所のご協力のもと甲賀の昭和化学様に 製造委託して近代設備で製造している商品です。薬局薬店で販売する伝統薬の創薬は不可欠なの ですが一般には誰も目を向けていただけません。すべてボランティアです。 後者の竹田薬師院家についてですが、 初代昌慶も渡明し経絡の銅人形や漢方の指南書「医方集成」 を伝え、足利義満に仕え、子孫は本邦最初の梅毒について記載された 「月海録 」を著し、堺に永住して 子孫代々、岸和田藩や和泉の伯太藩の御典医師を務めました。 また、堺の大安寺にも薬種の交易所があり、当時の人参益元丹の看板も当家に保存されています。 大永八年(西暦1528年)には阿佐井野宗瑞が明の熊宗立の「新編名方類書大全」二十四巻十冊を 翻刻し、堺市博物館に収蔵されています。 この様に医学や薬種の知識や現物が海運交易を通じて存在し京都に近い為、朝廷の庇護の下、 堺が医学の中心となりました。 私どもは朝鮮の文禄の役(西暦1592年〜1598年)で秀吉公より湊の土地を賜り、その前の治地の播磨の 妻鹿や鞆津を離れました島津氏長の末裔の目賀もしくは妻鹿孫三郎が子孫で、薩摩妻鹿の一族で 大徳寺の前身の大徳庵を寄贈した赤松円心の家来でしたので、大徳寺の守護神の「白澤(はくたく)」 が当家の守護神となっています。 時空を超えて先祖の偉勲の探訪、播州妻鹿の地へはここをクリックしてください この時代は軍陣医学で戦傷や城郭の薬の管理などをしていたようです。 水軍を持っており朝鮮出兵の際に 秀吉公より櫓の音が揃って見事なので音揃(おんぞろ)という名前を頂戴した時期もありました。 音揃家はここをクリックしてください 堺の湊に住居を構えてからは戦傷も腹部の傷も同じということから産婦人科専門になり明治まで諸藩の 御典医を勤めました。 江戸最後時期、先祖が落命した時、江戸より幕府の医監の山田図南が来られ先祖に羽織を脱いで与えられ 当家の累代役目の感謝をされたと言い伝えられていますので何か特命を負っていたようです。 屋敷も昔は三重の雨戸でした。 歴史は別添の資料を参考にして下さい。 また、ホームページをご覧頂きますれば当家をよりご理解頂けると思います。 是非、アクセスして下さい。 ホームページアドレス http://www.katagiriseiryudo.com/ 健康食品としては二十数年前にチベット、中国の青海省より冬中夏草を東北の貝津先生と 日本に紹介しました。当時は青海の地域は 困窮な地域で本品を外銷商品として販売して 経済的に多大な貢献になりました。 現在は青海冬夏泉と紅雪冬夏の二種が当店扱いで、 天然の冬虫夏草が使用されていますが、西蔵の方々の恩返しで大変安価に供給されています。 これも直接ご来店のお客様の特典だと思います。市場は培養の冬虫夏草が当然です。 紅雪は小生が考案、高山の登山者や潜水の方々に”飲む酸素”の異名で愛顧されています。 七十代の観光団体がペルーの高地で使用、酸素不足の影響なく感謝されました。 NHKで冬虫夏草が取り上げられ注目されています。 冬虫夏草の説明はここをクリックしてください 中国からの医薬品ですが、当家の資料で有名になったのは血液サラサラの語源となった「冠元顆粒」 です。 生薬製剤二号方の処方名で現在は認知症状の予防に補腎薬との併用は中国医学研鑽者の常識となりました。 許可取得申請時に丹参という生薬の使用例を提出すれば許可を下ろすという提案が行政監督庁から 申し渡されたのですが、わが国において当家の資料館の古代文献しか収載がなく、それを提出して許可が 取得され、二十数年を経て数社がここ近年やっと製造許可を得た商品で、当家の資料館が中国で高い評価を 得て、中国から感謝状を頂きました。 資料館の資料で開発及び許認可となった 医薬品・健康食品 はここをクリックしてください また、救心製薬 (株)から「救心感應丸氣」 という、現在輸入が禁止されている貴重な麝香を使った 商品があります。商品開発 ・ パッケージへのアドバイス等を行ない、いにしえより受け継がれている 生薬の妙味である動物生薬の効き目を活かしたものとなっています。ストレスの時代といわれる今 あらためて必要な薬です。 生薬製剤の「救心」も百年ぶりに先端技術で錠剤化に成功し、責任世代の方々の根本的な労働環境に 対応する気付けの御薬として新たな使命を有する恒久家庭薬としてリニューアル上市されました。 伝統薬の新たな社会要望の開発に関与して、勤労者人生の「年齢の節目」に全般をカバーできる商品が 救心製薬に整いつつあり、新たな大衆薬の光明となっています。 他に飲む点滴の異名の生脈散、白隠禅師(びゃくいんぜんじ)の知柏地黄丸(ちばくじおうがん) 良寛和尚使用の温胆湯など各種古典薬の輸入薬の資料貢献をしました。 かつて江戸時代に当家で使用していた薬剤なので、いつも日本的な使用方法をお教えしています。 また、これまで東大寺様に献上しておりました松浦漢方の牛黄純末も、本年より薬師寺様の 花会式(はなえしき) への献上の栄誉を賜りました。 薬事法の変化、販売方法等の承認の趨勢の変化による店舗の存続及び継承に対して皆様のご加護で 守って参りましたが、ここ数年の製薬メーカー 薬局の存亡が危ぶまれるなか、尚一層のご協力を お願い申し上げます。 店主謹白 |