伝統漢方専門老舗


                   
         
 
  瑠璃のみち        片桐眞紀子を偲ぶ

  急逝した妻片桐眞紀子を偲ぶ建碑が関係各位の御厚情と御理解御協力で
  小さな建碑ですが建立できました。
  瑠璃・るりの道と当家に続く通路を命名代々当家に語り継ぐこととしまた。

           


  龍穴の当家に繋がる道で通路の敷石は滋賀県の石山寺付近産の硅黒採石を4トン敷設
 



 来訪者の幸福を祈願、 避邪去魔の通路として左右には当家代々の鬼瓦 、鍾鬼像配置。

 

 閑静な東京大田区から堺の様な場所に若くして嫁ぎ家の再興と強い街の防災化に心を砕き
 貫通直前に夭折した妻、 眞紀子を忍び、 遺徳に感謝して建碑を建立し、
 高潔な人格を讃えて「瑠璃のみち」と名付けました


   



 若い時、 名古屋の松浦様でハーバード大や中国のシーサンパーナの研究者や
 岐阜大の水野博士、のち東洋医薬会長の寺澤様などと交流時
 生薬の龍骨の貴重さを知り、後の龍骨、歯、 製品のコレクションの礎を
 学び、二人で恐竜展覧会には何度も足を運び、そのときの記録写真です。
 世界有数のコレクションと内外学者から評価たまわり
 現在入手不可能なものばかり展示しています





  
  今は存在しない日本薬局方の龍骨は龍歯の形状で表敬訪問の各内外の研究機間、大学に寄贈しています
  生薬の原形が入手困難とGMPで刻み屋が廃業加工品も当家にのみ存在しています








 当家が音揃水軍主家の関係で海上自衛隊の いせ、ちはや後援会に参画させていただき
 若い頃から二人で港に艦船が入港、港の時送迎に参加させていただきました
 故加藤均会長との幾多の想いでと乗船、 横須賀の観艦式の想いでも懐かしく感じられます。
 特に練習艦隊の若人との交流は今も涙ぐみます、記念写真初めて公開します





     下段 左より2人目 片桐 平智  右より2人目 片桐 眞紀子






  

  海上自衛隊 潜水艦救難母艦「ちはや」
  飽和潜水気圧調整室・長くは30日過ごす。肺の損傷の快復に「紅雪冬夏」を呈上