和漢薬No.643(2006.12
 
 私が、牛黄、麝香,龍骨など動物生薬に興味を持ったのは,日本民族の医学知識と古典医薬品を後世に遺そうと決意したからです。ここ数年はややもすると処方運用や時代の変遷に適応した生薬由来の医薬品の販売方などに関心が向いていますが,小泉内閣の産物の構造改革関連法体系の変化が医薬品業界においては,製造許認可だけでなく販売面にも波及し,数年後に登録販売者制度が新たに導入されます。

 昭和50年代にGMPの嵐の中,巨額投資を必要とする順法設備や試験設備の適応できない,中小の医薬品製造会社は,我が国固有の伝統薬とともに消えていきました。私もかつては小さな家伝薬を製造していて,伝統和漢薬製剤の存続の必要性を当時,所属の大阪家庭薬協会の一員としてロート製薬の会場でロートの方と激論を闘わした思い出があります。

 GMP批准後,我が国の一般医薬品は世界市場を見据えた国策と技術革新が製造,品質管理,効能効果確認の迅速化に及び,余人の追随を許さぬ,調精密な知的財産企業へと成長しました。反面,伝統的な配置製剤に代表される小規模な会社は,近代薬に適応される様な苛酷な諸条件にも工夫と英知で克服されてきましたが,構造改革に伴う,新たな残留農薬規定等,自然生薬由来の基準が厳格化され,製造責任法のからみもあり存続が困難な状況になりつつあります。
 登録販売業務許可への変更指針で,実施前なのに既に相談個店から大型量販店へと顧客の移動が始まっています。また製造更新許可が目前に迫り,製薬会社側でも品目の大幅な切り捨てに着手しています。販売店で売る品目が撃滅し経営困難に陥ることを危惧しています。

 ここ数年数種の医薬品の許認可獲得に参画させていただいたのは,売る品目の確保と製薬会社の存続と顧客の要望の新分野の確率でした。微力ながら少しはお役に立った様です。牛黄純末の一般用薬としての許可の構想を立てて,やっと許可を戴いたプロジェクトが成功して販売店で順法販売できる,長年の夢が実現できほっとしました。
 どうして牛黄を後世に遺す必要があるのか,我が国独特の宗教観,医薬品としての奈良時代からの経緯,いままだ日本に残っていて将来も皆様の英知で行政も薬業界も利益面より文化面として遺さねばならぬ医薬品について順次解説しています。

 薬事法の大改正によって平成17年4月1日以降,製造専用医薬品の許可がなくなり,猶予期間があるものの,新たな販売承諾許可要件に準拠する一般用医薬品としての対象に牛黄も含まれました。
 
 従来の日本薬局方の牛黄の形状は塊のみ適法で,薬価基準に収載されていませんので医師の指示書に基づき,製薬会社へ薬局が納入申請書類を整え,購入医療機関へ開封せずそのまま納入の場合の受諾行為は適法だと思いますが,一般顧客に開封分割は適法外となります。

 牛黄の一般医薬品としての存続維持,これは非常に困難な課題でした。
 牛黄は解熱,鎮痙,強心の効能があり,それ故に過酷な仏教や神道の行事に僧侶や神官の身体を護持する目的で,一千年以上も民族的に使用された経緯があり,昨年急逝された朋友の渡辺武,難波恒雄の両先生も気にしておられ,松浦漢方株式会社の原田邦夫常務にその旨,進言し,牛黄純 末の一般用医薬品としての申請を厚生労働省に提出されたところ,丁度東大寺の修二会の最中の3月初旬に一般医薬品としての承認を取得された旨の連絡を頂きました。

 これによって後世に牛黄を医薬品として残すことができましたし,追随申請する各製薬会社にも追って許可が加速的に認可されると思います。この許認可には行政官庁や各製薬メーカーの方々の大勢の御尽力と感謝していますし,参画できた事に大きな誇りを持っております。

 牛黄の存続の必要性は医薬品のみならず東大寺,薬師寺,高野山金剛峰寺,比叡山延暦寺,法隆寺等の全国の名刹で宝印として護符に,また熊野神社や岡山の西大寺では懐紙や杖として神事に使用されていますので,わが国が存続する限りいかなる形でも遺すべきものと医薬品業界の方々や行政の各所轄の方々の暖かい御協力を願いたいと思っています。後述しますが,BSEの現在非発生地域での将来の発生に備えて民族行事用途の牛黄の特別備蓄保存も必要かもしれません。千年近く続く美しき日本の各行事を,誰も止める権利はありません。
 私どもが今は亡き,渡辺武先生と成光薬品工業とともに奉納する牛黄,通称牛玉を使用する東大寺の修二会の全貌を解説いたします。使用される墨は牛玉墨と呼ばれ,奈良の松井古梅園,中島玄林堂,呉竹産業が奉納されています。各自籠行の最中に家内安全の読経の恩恵に浴しています。

 牛黄は医薬品として存在してきましたが,宗教上においても国家安穏や多くの人々の心の糧になっていますので,次の世代へ遺すべき産物としての重要性を皆様に再確認していただきたいと思って,今回の執筆をお引き受けいたした次第です。薬物よりも深い不可思議な力を数千年にわたり,世界各国で及ぼしてきた様です。

 牛黄は,牛の胆嚢や胆管中に稀に発見される「結石」を乾燥させたもので,古来より命を養う薬,即ち「上薬」に類別されています。

 当家では以前より御縁があって,近年奈良の東大寺様の「お水取行法」として有名な,二月堂の修二会行法用として,牛黄を毎年寄進させていただいております。そういう関係で東大寺様のより御下賜の品を展示いたしました。
以下,東大寺の修二会における牛黄に関する所作を日を追って説明します。

 2月27日には二月堂観音の御守の牛玉と尊勝陀羅尼経を擦る用紙が配布され,これを古式に則り丁寧に折り,牛玉箱に納めて,頭上高くなげしに懸けます。翌28日には籠られる練行衆の各自の所持品である牛玉櫃に自己の定紋を添付します。2月の晦日には牛玉箱と牛玉櫃を香薫といって燻じ清めます。

 牛玉箱は3月1日,上堂すると同時に内陣のなげしに懸けられ,日に何回となく礼拝されます。3月の8,9,10日の3日間,日没後の練行衆の勤行の後,30分間ばかり,御香水と牛玉墨とによる墨汁で一枚ずつ念誦しつつ御牘は擦り上げられて,満行にいたるまで牛玉箱に収納され,祈念されます。この数日を「牛玉の日」と称しています。

 番僧や納所が内職に作る御牘とは全然その趣を異にしていて,言い知れぬ有り難味があり正しい信仰が起こってきます。東大寺の賓庫には空海が版下を書いたと伝えられる牛玉及び陀羅尼の版木が保存されています。

 3月12日の後夜に使用する長い柳の枝も牛黄の霊力に因み牛玉杖と呼ばれています。
 3月15日の晨朝の勤行の後,牛玉箱は童子をして持ち下らしめます。
 満行の後,堂司より練行衆は咒師から,牛玉に捺す朱印で除病興楽の意味の朱賓を額に捺してもらいます。
 この會の間に作成された御牘の「二月堂牛玉」や御供えの御餅の「二月堂壇供」は宮中にも献上されています。

 次の写真は東大寺塔頭北林院,住職狹川普文主上による参籠中に使用する牛黄箱の所作写真及び,牛玉箱の写真,牛玉箱の仕様は表紙を四分割に紐でして,右上に二月堂,右下に牛玉,左上に年号,左下に官名を牛墨で認め,宝印朱肉で巌封します。下の書面は夜荘厳の際に名前を読み上げる奉納者や貢献者の名前で牛玉の名前がでてきます。最後に狹川主上,御自身による牛黄の水晶薬鉢による微細粉末化の模擬所作で貴重な写真です。

   

 東大寺以外の牛黄の宗教上の研究成果について解説しておこうと思います。

 まず法隆寺ですが,いろいろな修正会に牛黄が使用されています。金堂修正会,別名は吉祥悔過は神護景雲2年(西暦768年)より,宮中大極殿で行われてきた,国家安穏の祈願で1月8日から14日まで続きます。釈迦三尊像の後ろに置かれた牛黄像の中に仏徳として納めれている牛黄を結願作法終了後,導師とともに引き出し高位の僧から順に拝みます。その後出仕の僧侶と参拝者,信者用に墨に混ぜて版木で牛玉札を造ります。

 次に1月16日から18日まで3日間続く,上宮王院修正会,別名十一面観音悔過では国家の安泰,寺門の興隆を祈願します。

 夢殿で牛玉札は刷りあげられますが,本札には上宮王院と記され,悔過作法が行われる金堂,修二堂会の西円堂,それぞれに意匠が異なっています。

 修二会は前述の東大寺の僧侶が天平勝宝4年(西暦752年)に創始したと伝えられていて,十一面観音悔過の形式ではありますが,法隆寺では2月に西円堂で行われるので西円堂修二会と呼ばれ,本尊薬師如来座像の前で薬師悔過行法を行います。法会の始めに牛玉降が行われます。これは錫杖を鳴らして牛玉を堂内に呼び込み,その法力にて法会の無事を祈念し魔障を払うもので,旗に西円堂の牛玉札を挟み,加持杖を持ち,法螺貝を吹き行進する僧侶の群れに新春を感じるものであります。

 また2月3日の鬼払い,別名追なの行事は西円堂結願の後の法楽として行われます。三鬼と毘沙門天は所作の終了後,指導員から牛玉の宝印を額にいただき薬師坊に戻ります。その後西円堂に出仕した寺僧や参拝客にも西円堂銘の宝印の授与がなされます。

 南都では古刹の殆どがなにかしら牛玉信仰に拘わりを持っています。薬師寺では参拝される金堂で薬師寺金堂牛玉銘の御札が販売されています。古都訪問のおり人手されると良いと思います。東大寺の続牛玉尊勝陀羅尼経や千年御香水は二月堂寺社務所で周年入手可能です。

 このほか,牛玉宝印として全国の諸社寺から発行されてる護符としての牛黄の用途があります。
著名な和歌山の熊野速玉神社では牛黄の知識として「熊野牛王符」と称して,来歴として袋裏面に「牛王の名称については諸説があるが,牛胆から得る牛黄(牛玉)という霊薬を密教で加持祈祷に用い,これを印色として護符につかったので,牛玉宝印と称したのであろう」と解説しています。

 なお熊野牛玉宝印は中世以後,色々な誓約に用いられ,熊野の修験者及び熊野比丘尼によって全国に配布され,これを家屋玄関に貼れば盗難除,病気には札中の烏を切り抜いて浮かべた水をいただくと効ありとまた,この牛王は厄祓い,家内安全の神札としても尊ばれ,熊野詣の人々は熊野牛王を拝受することを古来の慣習としているとも解説しています。熊野那智大社は那智の霊水で刷り上げたと解説,「烏牛王」の名称を使用しています。
 熊野本宮大社は「熊野牛王神符」とまた「お烏さん」と称しています。起源は約1300年前の天武朝白鳳11年初めで,熊野僧徒牛王印奉るとの記録ありと記しています。烏の数は三神社すべて異なっています。

 京都の毘沙門堂,福岡の英彦山神社,岩手の中尊寺,滋賀の石山寺,群馬の榛名神社,山形の瀧水寺,京都八坂神社,秋田の明永山熊野神社,鳥取大山神社,茨城の蚕影神社他,日本各地の護符に使用されています。
 
 行政権限の地方委譲に従って,所轄衛生部の指導のもと,厚生労働省のご尽力で遺せた,各社の医薬品「牛黄」は品質が均一で滅菌処理されているので,現在のところ,慣習で護符を使用しても感染の恐れはないので,流通経路正確なものを諸宗教機関に納入及び備蓄保存の必要性を御指導いただければ,永劫に牛黄が役立つと思います。
 次回は日本における牛黄の医薬品として使用された本草経緯と古典参政製剤について解説します。


            牛黄関連の護符の代表的なものの写真を掲載しておきます。



東大寺関連護符  (上図 左)
【献上護符】
 皇室の方々にのみ献上される護符で,特別に資料館に展示のため東大寺様より拝受したもの。泥紙に膠を加えた墨に牛黄を混ぜて刷ったもので,霊験あらたかなものとして世々皇室の方々の病除けや平癒の護符として使用されたものであります。
 平成14年10月の大仏開眼1250年の慶讃大法要の際,菩提律師の尊像胎内に献上牛黄納入の栄誉を賜りましたが,千年後の開封時,平成の牛黄がどう評価されるか楽しみです。

【牛王宝印】   (上図 右)
 お札の研究では比較的成果が多いものです。紀州の熊野牛王が著名で,全国の諸社寺から出されています。起請文といい牛王札の裏を誓約書に使うことが古くからありました。
 護符は呪符ともいい,災難除け及び幸いをもたらすと信じられている物体をいいます。細かくは保護的・予防的なものをアミュレット(amulet),招福的なものをタリスマン(talisman)と区別しますが,両者の区別は明瞭でないことがしばしばあります。 護符には,石・貝殻・人の毛髪・木の葉・聖地の砂・神像・聖句を書いた札など多種多様なものがあります。護符は身につけたり,家の中や門口に貼り付けたりし,世界中の諸民族にみられます。日本で節分に災厄除けとして戸口へさすヤキカガシと呼ぶ柊の小枝と鰯の頭,欧米で幸福を招くとし所持される兎の脚などは,護符の一種といえます。日本の護符の代表としては,お札・お守りなどがよく知られています。





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