上は曲直瀬一族の「切紙」やその他の治療口決集と
安土桃山時代の戦国大名の治療記録 や能毒集が展示されています。






奈良時代の古筆鑑の聖武天皇の大聖武経や伝鑑真の
紺泥紙経が展示されていて、猪の牙で擦ると経文が一千年
の時をへて金色に輝きます。
旧制奈良女高師の佐藤小吉先生の正倉院の名香に関する
自筆原稿が展示されています。清水藤太郎先生の未定原稿
の正倉院薬物も並列展示をしていました。


ソクド人や唐時代の三彩の人物像の陶器片を展示したの
は、正倉院時代の西アジアの時代背景に必要と思ったから
である。展示していないが桜蘭出土らしき胡人の副葬品
も所蔵している。ソクド文字は法隆寺の香木に刻みこまれて
いたのが近年確認された。薬物や香木の伝搬に携わった
民族と判明してきた。
       



曲直瀬道三と後継者の古典医籍および医学資料
道三切紙
   

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 (6枚の写真があります)
玄朔自身が門人に命じて写させて、自筆の奥書と在判を
附して与えた曲直瀬流の最高奥義
延壽法印医案
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 (5枚の写真があります)
医学天正記の異本とされ、玄朔治療の軌跡で天正4年
(1576年)28歳の時から慶長11年(1606年)58歳までの
診療を記録した本。

当店舗(片桐棲龍堂)で発売しています”勝湿顆粒”(イスクラ産業
製造)を使っていた記載あり。



馬医草紙(ばいのそうし)

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 (3枚の写真があります)
鎌倉時代、紙本着色。   (江戸中期の写し)
鎌倉時代の武人の飼馬に用いた万病薬修治の伝書。
律令制が崩れ、政権が鎌倉に移り、左馬寮の生馬神、
右馬寮の保馬の神の両祀神とともに、平安貴族独占の
宮廷馬医も姿を消し、代わって民間馬の治療は医療
とともに僧侶の手に移り、中国馬医学の模倣時代を脱し、
本書のような庶民的で実用的な日本独自の馬医学が芽ばえる


古筆鏡(写経)

医学の発達には、仏教の写経が、重要な役割をはたしました。


 (2枚の写真があります)

 鑑真和上 御筆

紺紙金泥経 
幕末期唐招提寺荒廃時に市井に流出伝世品