幻の館の鬼瓦

豊臣秀吉より朝鮮の役で功を挙げたため、音揃姓とともに堺湊の土地を賜り、
その時の建てた館は現在の位置とは違い海辺にあったと伝承されています。

島津義久が関が原で敗走し、堺の浦から軍船で落ち延びたのも、当家と佐野の
水軍の助勢で援助した様に言い伝えられています、その時の音揃館の鬼瓦だそうです。

家伝で「幻の館の鬼瓦」と呼ばれ庭の築山の鬼門方向に安置され二百有余年を経過し 
ています。大きい瓦なので当時の館は寺院に匹敵するほどかなりのものだと推測されています。

現在の 資料館の土地も以前は池泉回遊の庭で、それを壊して跡に建てられ ました。 明治時代、
命がけで、当家が朝鮮の革命家の金玉均が甲申政変で亡命したとき に半年近く、匿ったのも
朝鮮の役での、韓国の方々への懴悔のことと伝承されています。