家伝漢方医薬学の系譜 片桐棲龍堂

         十七世片桐棲龍堂当主・片桐平智この文を記す




 系図によると先祖は遠く鎌倉時代に端を発し、清和源氏の薩摩の島津氏長候の末裔の目賀氏(志賀博士の大日本人名辞書にてはメガを妻鹿に作る)と称し、古い定紋は島津家と同様の物が現存しています。丸に十の字と笹龍胆の紋様であります。現在の家紋は後述いたします音揃家の軍扇にちなみ高崎扇に変化しています。

建武の中興に播州の苔縄城主の赤松円心が功を建てた時、此れに従軍した目賀孫三郎長宗が医学の祖の様に伝承されています。優れた兵術家で剣術家であったので、四書五経に精通していたので軍陣医学の金創医学の実践に秀で、後生の南蛮亜流の栗崎流よりも優れたものが伝承されています。以来軍師としての系統が続き 、医学知識も口訣として併行して伝承しました。

桃山時代に下って孫三郎の七世の孫の目賀次郎左衛門宗延の代に備後の靱津に水軍を抱えていましたが、折しも文禄の役に豊臣秀吉の命により参戦し、海上往来の際に大音声の基、一糸揃う軍船の指揮は後世に語り継がれる程みごとなもので、諸葛孔明の戦法にちなむものとされています。

大軍船団の櫓の音が揃うほど見事な軍師ということで秀吉公より音揃(おんぞろ)と言う姓を賜り、その時に大坂川口の堺湊浦に土地を授けられ音揃次郎左衛門と改名しました。

この時点でも自家の存続の為の医学知識は南蛮系の薬物を含めて集積されてきました。大名との親交もあり当時の伝世の遺品桂皮油や椰子油を入れたルソンの薬壷やオランダギャマン薬徳利が遺されています。
その間茶道の数寄者の斗々屋を嗣ぐために音揃伊左衛門の子の治兵衛を養子としてだしたり、堺の豪商の多くと血縁を結び、豪族としての地位を固められました。

音揃四朗左衛門
 元知の時代には肥後熊本候家臣の吉田善左衛門並びに 萩原幸吉とともに天下相撲の行事職につき、その時に摩利支尊の御廟を建てられ、これらが片桐家の守護の神様の御一方として今も現存しています。幕末までは堺相撲の保護に代々心を注がれ、力士は邸宅の周囲に主家の警護にあたりました。

徳川の時代になって五度び姓が変わり今の片桐となりました。
文化時代に入って音之輔方矩が大和小泉城主の片桐石見守貞昌公(片桐且元公縁者)即ち石州流茶祖の血統より内室紋姫を娶り、片桐音之輔方矩と名乗りました。この方は片桐家中興の祖として祀られています。
当時西の柳生但馬と称せられた、大江島右衛門の門下の四天王の一人で、日月流を編み出した剣客でしたが、一面風流を好み、京洛から藪内宗匠を招いて、庭を築き七つの茶室を建てて、その居宅を栄松庵と呼び大徳寺の座主を迎え諸大名や文人と茶事ざんまいに明け暮れました。
この往時の遺構が現在の片桐棲龍堂の旧店舗であります。

旧店舗の掲額の揮毫は大徳寺の沢庵、宙宝、護峰の各禅師がされています。
豊臣の残党であり 、天領の堺に接して安穏に暮らす知恵としてこの音之輔方矩以後、家訓として明治時代まで茶人、医師として表にでる事なく、大名や文人の交流相手として家系を踏襲してきました。

この音之輔方矩の時代に長崎の方から京に在る父を尋ねて遥々と流浪の身をこの堺の繁華を頼ってきた武家の息女があり、堺の浦で孤独と病苦で斃れましたので片桐家の郎党がこの女人を本家に引き取り、当主が手厚く介抱して全快せしめました。そして家人を京に遣わして女人の父の安否を尋ねさせたところ、その行方はようとして知れずに終わったため、片桐家で終焉まで御世話をしました。
そしてその息女が亡くなる前に、九州島津藩の御典医の娘でるあったことを明かし、かってその父より習い覚えし秘方の「血之道薬」をせめてもの報恩として当家に遺しおかれて瞑目されました。

かねてより医学知識のある家と薬種の豊富な堺の立地で、処方を調剤して、試みに血之道に苦しむ者に与えて見ると、効果が著しく 全快の歓びを語るものが続出してその福音を伝播したのでありました。幕末までは完全な「施し薬」として決して代価はとりませんでした。本来は医家であり婦人薬は一部門にすぎないのであったが 人気の集中は婦人薬を作る事が日常の様に忙しくなり、果ては多くの薬乞いに煩わされる当家としては、これを気兼ね無く求めたいと云う巷間の要望と明治六年の「売薬法」の実施とともに家伝漢方製剤として官許となりました。活血剤、安胎剤、益元湯、発散湯、棲龍丹、魏鉄丸等の自家家伝薬製剤でした。

これと並行して徳川時代には家訓にしたがって、武士を捨てて医家を目指すものが輩出し、代々紀州藩や岸和田藩、和泉の伯太藩の御典医を勤め、幕府の医官の山田図南や紀州藩の華岡青洲と親交を結ぶ者や長崎の鳴滝塾にてシーボルトや京都にて オランダ海軍一等軍医のマンスフェルトに師事して、各自医を以て立ちました。

ある者は堺医学校の教官も務め医学教育にも情熱をかたむけました。亡父十六世片桐悦朗まで医家として 続き、また並行して家業として漢方薬の研究及び販売を続けています。

近縁にも刀圭の界に籍を置く者が多く、医学の道は続けています。この漢方と日本の古医学の知識が古文書と各種口訣とともに片桐棲龍堂に伝承されています。
薬剤の形が変わっても処方の使用方法は昔からの経験集積にもとづいております。

比度の国指定登録文化財の建造物 の指定は環境保全の意味によりお受けいたしました。文化庁、大阪府、堺市の諸公的機関の文化財担当の方々の御助力と感謝しております。

意匠は水軍時代の軍の扇と守護神の竜神に由来する双竜に由来しています。