片桐家の文化財

(産経新聞 平成12年7月19日 掲載)

片桐棲龍堂など140件を文化財に
   保護審、文相に答申

文化財保護審議会(会長・西川杏太郎トキワ松学園横浜美術短大学長)
は十八日、大阪府堺市西湊町の漢方専門薬局店「片桐棲寵(せいりゅう)堂」
など計百四十件を文化財建造物として登録するよう大島理森文相に答申した。

片桐棲龍堂は、代々の当主が「寛龍」という名前を継いだことから、棲龍堂と
命名。江戸後期の建築と考えられる主屋や、医学や漢方資料を展示し
漢方資料館にもなっている西ノ蔵など七件が登録される。



(読売新聞 2000年7月20日 掲載)

府内から新たに2か所
  国の登録文化財建造物

国の登録文化財建造物として、府内から片桐棲龍堂(堺市西湊町)、
樟徳館(東大阪市菱屋西)の2ヵ所計13件の建物が、国の文化財
保護審議会で新たに指定された。これで府内の登録文化財建造
物は計58か所、118件となった。


 片桐棲龍堂  
   漢方専門のしにせ薬局で、指定を受けたのは七件。母屋は
   江戸後期の建築とみられ、片側を土間にした伝統的な
   木造二階建て。東ノ蔵、中ノ蔵、洗い場は幕末の建設と伝え
   られている。
   明治時代に中央区から移築したとされる西ノ蔵は、漢方資料館
   として片桐家伝来の医学資料や、全国規模の漢方資料などを
   展示。海外から、研究者らが調査によく訪れる。
(朝日新聞 2000年8月8日 掲載)
    
     片桐棲龍堂(堺) 樟徳館東大阪)
     
 登録文化財 新たに2件決まる。

 堺市に江戸時代から統く漢方専門薬局店「片桐棲龍堂」と、昭和初期
に建てられた和風建築で、現在は樟蔭学園が管理する東大阪市の「樟
徳館」が、母屋のほか、土蔵や塀などとともに、国の有形文化財(建造物)
として登録された。

片桐棲龍堂は堺市西湊町三丁の古い民家が立ち並ぶ一角にある。木造
ニ階建ての母屋は奥まで続く土間に部屋が面した、伝統的な「町屋」の
構造を持つ。敷地内にある摩利支天の社が江戸時代後期1814年(文化
十一年)に建てられたという工事記録が残っており、母屋もほぼ同時期に
建てられたと見られる。土蔵の1つは漢方薬に関する歴史資料を展示する
「漢方資料館」となっている。

文化財登録制度は築後五十年以上たった貴重な建築物を保護するため
に九六年に始まった。今回の指定で、府内で登録された建造物ほ五十八
カ所となった。

 
 


      片桐棲龍堂 Katagiri Seiryudo

片桐棲龍堂は、老舗の漢方薬専門店で、敷地内には江戸時代後期に建築された主屋(おもや)を
はじめとする国登録有形文化財(平成12年10月登録)の建造物があります。

主屋の東側には同時期に作庭されたと考えられる庭園が広がっています。
この庭園は腰掛待合(こしかけまちあい)や砂雪隠(すなせっちん)といった茶室に付随する施設が
存在することから、単なる鑑賞本位の林泉式庭園ではなく、築山(つきやま)・枯滝(かれたき)・
枯流れを配した奥山の景色の中に作られた、荼の湯に関連する「露地」(ろじ)の形態・構成を持った庭園です。
戦災に遭った堺の環濠都市地域の民家には江戸期に遡るような庭園はほとんど現存していない中で、
本庭園は江戸時代の医家屋敷の茶庭として歴史的にも大変貴重です。


                  平成24年(2012)10月 堺市教育委員会




旧店舗跡の遺構の玄関内部

左に往診時に使用した寵があり、内部には書見台がついていて軽く、早く
走れる構造になっています。当家は堺相撲の力士を抱えていましたので
岸和田藩や和泉の伯太藩に登城外出時は寵の前後を力士が護衛し
住診をしました。

旧店舗写真資料はここクリックして下さい
   

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