伝統漢方専門老舗

近年日本を代表する漢方の専門雑誌に当家のこと度々取り上げていただき有り難い事と思っています。 冠元顆粒の関連で専門学術医薬雑誌の「中医臨床」で特集していただきました。 本雑誌は中国医学関連の最高権威の医療関係者専門雑誌で漢方圏の中国,韓国,台湾,英国, フランスなど 専門家必携の 最新中医薬雑誌で齢をかさねて来宅起稿された編集部, 同伴のイスクラ陳社長, 中医薬研究会会長猪越様に感謝いたします ![]() ニッポンの漢方薬局を訪ねる 片桐棲龍堂 片桐 平智先生 日本の伝統薬の継承と中国の中成薬の活用 ![]() Profile 片桐平智 (かたぎりよしとも) 1947年生まれ。 大阪薬科大学卒。 大阪府衛生部 (現・健康医療部) を経て, 創業4百有余年以上の 片桐棲龍堂を大阪府堺市で経営。 日本の伝統薬の継承と黎明期の中成薬の開発導入に貢献する。 奈良東大寺修二会の薬物担当。 日本東洋医学会会員。 日本初の漢方資料館を開設運営し、 欧州や中国など海外の専門家との国際交流を続ける。 【聞き手/猪越英明】 創業400有余年の歴史を誇る老舗の漢方薬舗 「片桐棲龍堂」。 日本の伝統医学を基礎にしながら中医学による中成薬なども取り入れ、地域住民の健康を支えながら 伝統漢方の素晴らしさを継承してきた。 また併設する漢方資料館には医薬学に関する大量の資料が収蔵されており, 国内外の研究者から 高い評価を受けている。 今回は片桐棲龍堂17代当主・片桐平智先生に, 普段は一般公開されていない漢方資料館を 特別にご案内いただきながら、東西薬局代表の猪越英明先生が話を伺った。 (編集部) 堺と伝統医学 猪越: 本日はお忙しいなかありがとうございます。 こちらは創業文禄2年(1593年) ということで, 4百年を超える歴史を誇る薬局 (現在は薬舗) です。 まず, 薬局の歴史に関連して,ここ堺と医学との関わりからお聞かせいただけますか。 片桐: 堺は古くから諸外国との交易が盛んで薬種の入手も容易であったことから,日本における医学の 発展は堺や和泉地方を中心に始まったといっても過言ではありません。 応仁・文明の乱(1466〜1477年) によって京都が荒廃した際には,一時的に堺へ文化が移り, 最新の中国医学も堺を経て広まりました。 堺の名医としては, 半井 (和気わき) 家と竹田薬師院家が知られています。 半井(なからい)家の初代 半井明親(あきちか)は,明の時代、武宗皇帝 (正徳帝,在位1505〜1521年) が 重い病にかかった際, 三国の名医を探しても治せる者が見つからず、ついには日本から明親が渡海して これを治癒せしめたと伝えられています。 この功績により, 皇帝から驢馬を賜り, 「驢庵」 と号しました。 この逸話からも、当時すでに日本の漢方が中国の水準を凌駕していたといっても過言ではないでしょう。 私たちの祖先は,文禄の役 (1592〜1598年)の折, 豊臣秀吉より堺 湊の地を賜りました。 それ以前は播磨(はりま)の妻鹿(めが)や鞆津(とものつ)に居住しており,島津氏長の末裔である 目賀 (または妻鹿) 孫三郎の子孫にあたります。 この一族は, 薩摩妻鹿の出身で, 大徳寺の前身である大徳庵を寄進した赤松円心の家臣でした。 その縁から, 大徳寺の守護神である 「白澤 (はくたく)」 が当家の守護神となっています。 当時は軍医として, 戦傷の治療や城郭内の薬の管理などに従事していたと伝わります。 また,水軍を率いており, 朝鮮出兵の際には, 秀吉公より「櫓の音が見事に揃っている」と称賛され, 「音揃(おんぞろ)」 の姓を賜ったといわれています。 その折, 大坂川口の堺湊浦に土地を授けられました。 以後, 堺・湊に居を構えてからは, 「戦傷も腹部の傷も同じ」という考えのもと, 産婦人科を専門とし、 明治に至るまで諸藩の御典医なども務めました。 ![]() 片桐家の系譜 猪越: 薩摩の島津家と関係のある家系だったのですね。 片桐: 系図によれば, 当家の祖先は鎌倉時代(12世紀末〜1333年) にその端を発し, 清和源氏の流れを汲む薩摩の島津氏長の末裔で、目賀氏を称していました。 古い定紋は島津家と同様に 「丸に十の字」 と 「笹龍胆(ささりんどう)」 の紋様です (現在の家紋は音揃家の軍扇にちなみ高崎扇)。 建武の中興 (1334〜1336年)の際, 播州・苔縄(こけなわ)城主の赤松円心が功を立てた折, これに従軍した目賀孫三郎が, 当家における医学の祖と伝えられています。 孫三郎は優れた兵術家 剣術家で,また四書五経にも通じており, 軍陣医学, すなわち金創医学の実践にも卓越していたと伝承されています。 以来, 当家には軍師としての系統が受け継がれ, 医学の知識も口訣(<けつ)として 代々伝えられてきました。 また自家の存続のために蓄えられた医学の知識には, 南蛮系の薬物も含まれていました。 大名との親交も深く, 当時を伝える遺品として,桂皮油や椰子油を入れたルソンの薬壺や, オランダ製のギャマン薬徳利などが今も伝わっています (内藤くすり博物館に寄託)。 その間, 茶道の数寄者であった斗々屋を継ぐために, 音揃伊左衛門の子 治兵衛を養子とし て出すなど, 堺の豪商たちと多くの血縁を結び,豪族としての地位を確立していきました。 猪越 : 剣術に医学, さらには茶道と, 堺という土地柄を活かしながら、 実に多彩な活動を されてきた家系なのですね。 ところで, 先ほど 「音揃」 という姓に改めたというお話がありましたが,その後, 再び 「片桐」 の 姓を名乗られるようになったのには,どのような経緯があるのですか? 片桐 : 秀吉の没後, 江戸時代に入っても当家は数代にわたり音揃家を名乗っていましたが, 文化年間(1804~1818年), 音之輔という者が,大和小泉城主・片桐石見守貞昌 (片桐且元の縁者), すなわち石州流茶祖の血統から内室 紋姫を娶り, 「片桐音之輔」 と改名しました。 この人物は片桐家中興の祖として祀られています。 彼は「日月流」を創始した剣客である一方, 風流を好み,京から藪内宗匠を招いて庭を築き, 7つの茶室を建てました。 その居宅を 「栄松庵」 と呼んで,大徳寺の座主を迎えて, 諸大名や文人たちと茶事三昧の日々を 送ったと伝えられます。 この往時の遺構が,現在の片桐棲龍堂の旧店舗です。 旧店舗に掲げられていた扁額の揮毫は, 大徳寺沢庵宙宝護峰の各禅師によるものです。 当家はもともと豊臣家の旧臣であり,天領・堺に隣接して安穏に暮らすための知恵として 片桐音之輔の代以降は,家訓として 「茶人」 「医師」として表に出ず, 大名や文人との交流を 通じて家系を継承してきました。 また、熊本の吉田司家より 「天下相撲」の行司職を拝領した際には, 勝負の軍神である 「摩利支尊」 の廟を再興しました。 この摩利支尊は現在も片桐家の守護神として祀られています。 当家にはお抱えの力士がおり, 力士らは毎朝早くから築山を巡拝し, お百度を踏んで勝利を 祈願しました。 歴代の当主は幕末に至るまで堺相撲の保護に努め, 力士たちは邸宅の周囲に住み、 往診の際には駕籠を担いで随行し,また主家の警護にも当たっていたと伝えられています。 猪越:医学だけでなく、茶道やさらには相撲とも深い関りがあったかけいなのですね。 家伝の漢方製剤 猪越: たいへん由緒のある医家の家系で、 家伝薬も伝えられていると聞きます。 片桐: 当家には次のような逸話が伝えられています。 時は片桐音之輔の時代です。 長崎から京にいる父を尋ねて旅立った一人の武家の 息女が流浪の末に堺の繁華を頼って辿り着きました。 しかし堺の浦で孤独と病苦に倒れたため、これを見かけた片桐家の従者が本家に引き取り、 当主が手厚く介抱したところ, やがて全快しました。 その後、家人を京へ遣わして父の安否を尋ねさせましたが, 行方はようとして知れず, 消息は絶たれていました。 そこで片桐家では,この息女を終生にわたり世話し, 見取ったと伝えられています。 彼女が亡くなる前, 自らの素性を明かし, 九州島津藩の御典医の娘であることを語りました。 かつて父から授けられた秘方 「血之道薬(ちのみちぐすり)」を, せめてもの報恩として 当家に遺し, 静かに瞑目したといいます。 当家はもともと医学知識に長け、 また堺は薬種の集散地としても恵まれた土地であったため、 この秘方を調剤し, 血の道に悩む人びとに試みたところ, 顕著な効き目を示しました。 全快の喜びを語る者が続出し, その評判は広く伝わることとなりました。 幕末までは完全な 「施し薬」 として代価を取ることはありませんでした。 本来, 当家は医家で, 婦人薬はその一部門にすぎなかったのですが, 評判が高まるにつれて 婦人薬の調製に追われるようになり, やがては多くの薬乞いが訪れるようになりました。 これを気兼ねなく求めたいという人びとの要望に応え、 明治9年(1876年)の「売薬法」 施行とともに, 家伝の漢方製剤として正式に官許 (販売許可) を受けました。 代表的な家伝薬には, 活血剤・安胎剤・益元湯・発散湯・棲龍丹・魏鉄丸などがあります。 猪越: 家伝の漢方製剤を販売する以外に, 医業も行われていたのですか? 片桐 : これと並行して, 徳川時代には家訓に従い, 武士を捨てて医の道を志す者を輩出しました。 代々, 紀州藩・岸和田藩 伯太(はかた)藩などで御典医を務め、幕府医官の山田図南(となん)や, 紀州藩の華岡青洲(はなおか せいしゅう)と親交を結んだ者もいました。 また,長崎の鳴滝塾に学びシーボルトに師事した者,京都でオランダ海軍一等軍医マンスフェルトに 学んだ者など,それぞれが医を以て身を立てました。 ある者は堺医学校の教官として医学教育にも尽力し, 当家は父の代まで代々医家として続きました。 猪越 : たいへんな医家の家系だったというわけですね。 「冠元顆粒」 承認までのエピソード 猪越: 片桐家には膨大な数の医書が保存されており,その中の資料に基づき開発および 認可された医薬品・健康食品がいくつかあります。 今日はそのうちの冠元顆粒 (紅花・芍薬・川?・香附子・木香・丹参からなる生薬製剤) の 承認のいきさつについてお聞かせください。 片桐: 承認申請の壁となったのは,冠心U号方(1970年代に中国で開発された丹参・赤苟・ 川? ・紅花降香からなる中成薬) の主薬である「丹参」 の日本における使用例の有無でした。 それを当家の蔵書の中から見つけました。 1988年11月, イスクラ産業は製品名を 「快心顆粒」 として 「冠心U号方加減方」 の申請を行いました。 しかし, 当局より 「心」 の文字は「心臓」 を想像させるため, 一般用医薬品には相応しくないという理由で 却下されました。 そのため,その後, 「冠群顆粒」という名称に改め, 再申請することになりました。 申請書類は,臨床試験データや, この後の3回の漢方生薬製剤調査会へ提出したものを含め、 のべ1000ページ以上となる膨大な量でした。 1989年9月, 厚生省の審議会において, イスクラ産業は「丹参の使用例」として「天王補心丹」の資料を 提出しましたが, 審査官から「天王補心丹における丹参は佐薬であり, 主薬ではない」との指摘があり, 丹参を主薬とする使用例を提出しなければならなくなりました。 その折,協力を求められ, 当家の蔵の中で,丹参を主薬とする処方の国内での使用例を見つけました。 それは 『和漢欧 売薬製剤篇』(赤木勘三郎編著, 同済号刊行, 1914年) という本でした。 審議会委員の中には 「使用例のないものを認めて,次々と許可され, もし副作用が出たら 責任を取れない」 と強硬に反対する人もいたようですが,この資料を前例として 「認めるか?」 という議論になり, 最終的には 「資料として存在するから」と意見がまとまり, ようやく認め られました。 ただ, 「冠群顆粒」 という名前は, 響きが 「勝てば官軍」 で良くないという会社の役員会の意見によって, 「冠元顆粒」 となったようです。 そして, 1990年7月, 晴れて冠元顆粒の医薬品の輸入承認を取得することができました。 猪越: 冠元顆粒の承認申請のいきさつについて詳細に教えてくださりありがとうございました。 片桐: それでは,資料館をご案内しましょう。 資料館は,明治6年(1873年) に移築された西の蔵にあり, 先祖代々伝えられてきた漢方 医学および仏教医学などに関する貴重な品々や資料が保存されている。 中国やヨーロッパからも多くの研究者らが訪れているという。 1階には,主に正倉院薬物関連の資料を展示している。 香港返還前に寄贈された錦紋大黄をはじめ, ワシントン条約締結以前に輸入された 熊胆・麝香犀角などの動物性生薬の標本、竜骨や各種の石薬などが並ぶ。 中には, シルクロードの楼蘭で出土した 「樹下美人」 が刻まれた竜骨といった希少な資料も 含まれている。 奥は新展示棟となっており, チベット医学に関連する仏像やタンカ, シルクロード関連資料, 華岡青洲に関する展示, 薬看板, 東大寺ゆかりの仏像, 朝鮮人参関連資料などが所狭しと 並べられている。 ・ 資料館2階には, 曲直瀬流の 「道三切紙」 や「治療口訣集」, さらに曲直瀬符丁の解読書簡な どが保存されている。 また, ハンセン氏病関連資料, 南蛮医療 紅毛医療に関する資料, 日本薬局方のラベル付き 海亀の標本, 長大な一角の標本および一角丸の薬袋, 北前船を介して琉球と交流した 新潟の医師が創製した秘薬の薬袋,お抱えの力士が担いだという往診用の駕籠,百味箪笥なども 展示されている。 壁面には, 古い薬看板や錦絵などがぐるりと掛けられている。 敷地には,江戸後期に建てられた入母屋造りの主屋と, 土蔵造りの3つの蔵のほか、 摩利支尊天を祀る廟, 洗い場, 煉瓦塀などがある。 また、主屋の東側には,同時期に作庭された庭園が広がっている。 この庭園は,2007年に支障木の移植や飛石の据え直しを目的とした復元整備を行った際, 表土や植栽の中に隠れていた腰掛待合(こしかけ まちあい)、砂雪隠 (すなせつちん)、 蹲踞 (つくばい)、飛石などが発見され、これにより,築山と滝, 石と流れを配した奥山景色の 中につくられた露地 (茶室の庭) であったことが判明した。 戦災を免れた貴重な庭園として,現在は堺市指定文化財名勝庭園第一号片桐棲龍堂庭園に 指定されている。 なお, 主屋や土蔵その他神社など付帯建物6カ所が国の登録有形文化財の指定を受けている。 (取材: 2025年10月19日 大阪府堺市, 文責: 編集部) 【あとから】 かねてからの念願であった, 片桐平智先生のもとをお尋ねすることがようやく叶いました。 公私共に大変な時にお時間を割いていただき, 本当にありがとうございました。 大変貴重な資料, 現物を見るのも触れるのも初めての生薬, 高貴薬の数々に圧倒され, 当日は目がまわる思いでしたが、 たくさんの得難い経験をさせていただきました。 「冠元顆粒」 の開発秘話については,われわれ関係者の間では伝説となっていますが、 膨大な資料の山の中から該当の本を見つけ出していただいたことに, 改めて畏敬の念を 抱かずにはおれません。 婦人科にまつわる秘伝処方や診察法など まだまだお聞きしたいことがありますが、 いつかまたその機会をいただけることを願っております。 宿題としていただいた, 冬虫夏草などが配合された某補腎薬の普及についても 取り組んでまいります。 今後ともご指導のほどよろしくお願いします。 【聞き手】 猪越英明 (いこしひであき) 医学博士・ 薬剤師 鍼灸師 国際中医専門員。 日本中医薬研究会会長, 日本中医薬学会理事、世界 中医薬連合会理事。 東西薬局代表。 |
