伝統漢方専門老舗


                   
         
 
西湊四号線の道路の拡幅工事

  令和7年11月10日で西湊4号線が開通しました。
 後は通学路表示、 付帯設備の堺市西部地域事業部管轄と所管堺北警察に委ねる工事のみになりました。
 お祝いに瑠璃の石碑に紅白の御饅頭をお供えして完成の道のり忍びました、 有り難いことです。
 工事関係者のみなさまに感謝しています。
  防災に強い町並に変貌しつつります!

 念願の西湊四号線の道路の拡幅工事が 三十五年の月日を掛けて, ようやく十一月初旬の貫通との通知が
 堺市役所都市整備と、また施工担当業者社長からいただきました。
 おって開通後の様子は映像とともに紹介いたします。顧客さまもお車で便利に御越しいただけます。

  この道路は通称中筋と呼ばれて終戦直後の闇市の中核で全盛期には三十軒近くの
 商店が軒を連ねて, 風呂屋から散髪屋, 電気店, 化粧品小間物屋, 質屋, 洋品店, 花屋,
 牛乳配達店, 食堂,昆布加工店, 刃物鍛冶店, 魚屋, 精肉店,文房具店, 天ぷ羅店,
 駄菓子屋, 関東炊店, 竹の加工販売店, 天秤製造販売店, 美容室, 砂糖米販売店,
 茶店などほとんどの生活用品が間に合う場所で浜寺の御屋敷からも阪堺線で購入に来られました。
 現在堺湊郵便局に当時の地図が掲示されています。時代とともに廃れ, 現在は当家
 と美容室の二軒のみ残っています。

  道路の幅が二メートル五十センチしかなく、たび重なる火災を経験し, 住民の悲願の
 防災に強い街づくりの完成です。 一部側路の空き家の整備を遺しましたが,
 また地域住民や堺市の都市整備の方の果敢な挑戦で終えんすると予測しています。

  この中筋の狭い道を利用された, 江戸時代, 当家に来られた大徳寺の高僧の方々,
 岸和田や伯太藩の方々, また頼山陽, 篠崎小竹, 茶人の文人の方々, 頒薬と医薬治療の
 近郷の患家の方々, はたまた当家守護の相撲力士達の路傍の住まい群, 当時廷内
 に遣っていた, かさ神様や邸内現存の摩利支天神社参拝の茶店の伝説など幻のごとく脳裏
 に浮かびます。
 近代史では韓国の金玉均様も当家で一時期御隠れになられました。

  明るく防災と住民の郷土愛と防犯に強い街に変ぼうしていきます。 文筆中に西湊の若仲の
 ふとん太鼓の音が心地よく, 邸内に響いてきました。本日が設立百二十年でお祝いの宮出
 しです この良き日に稿を終えます。 家内にちなみ, 傍らの通路も 「るり(瑠璃)の道」と皆
 様に親しまれる事でしょう。