伝統漢方専門老舗


                   
         
 
 


 
 健康長寿・薬の展覧会  のご紹介

 昭和八年八月
 当時大阪長堀にあった高島屋百貨店で開催の「健康長寿・薬の展覧会」に
 往診御典医籠と同時展覧出品したもの。初めて当家から他方へ出るので
 祖父が門前で写真師に撮影させたもの「ちのみち薬」は当家が発祥、
 下部の亀の彫り物は円山応挙筆と伝承。


  

    序

  千年の昔より我邦に傳はれる漢方薬は古来佛教と密接の關係を有し、聖徳太子わが
  浪華の地に四天王寺を建立あるや、講堂を中心として悲田院、敬田院、療病院、施藥
  院を設けられたるは史上に顕著にして天平時代に入つてはわが聖武天皇は七賢貢献の
  中に藥を嘉賞し給ふ、帝の后、光明皇后に依て正倉院御庫に今尚薬は蔵せしめ給ふぞ
  畏き、光明皇后、能く帝の御心を継ぎ給ひて 国分尼寺の開建と同時に施薬の御事業を
  建て給ひ、唐僧招提寺開山鑑真大和上の医学に精しきを以て医藥の道啓け、鎌倉時代
  には西大寺の興正菩薩豊心丹を処方せるなど、更に降って徳川時代に入りては八代将
  軍吉宗公、よく父祖の偉業を継ぎ並に薬園の開設、薬草の移植、全国的に薬草採収を
  奨励し給ひ、現に本展覧会に於ける藥草植物園に多大の便を與へられる、 大和宇陀
  群松山町の森野奮薬園は實にその當時幕府の奨励と当主森野賽郭氏の熱心に依り、我
  邦唯一の薬園として存在を見、今や本草の研究は天平、享保の盛を繋ぐに至れり、然
  して、堺、並に大阪の薬種業の発達は到底他に共の比を見ず、茲に本展を開き「薬」の
  効用、「薬」の歴史、並に「薬」の智識啓発に些か資せるは吾人の欣幸之れに過ぎざる
  なり、ここに匆卒筆を走らせて本録を綴り本展の記録とす。
  昭和八年八月中院
                           編者記す

  健康長壽 薬の展覽會

  会期 昭和八年八月十六日より同卅日迄
  会場 大阪 長堀 島 屋