020年12月に書いています

新しい年を迎えるにあたり新看板を駐車場に設置いたしました

来る年が疫病に苛まわれない様に、祈念を込めて過去に苦しんだ江戸時代の歌川国芳筆の疱瘡にちなむ錦絵を意匠としました。
御来店の際は御鑑賞してください。牛黄の神文誓紙も描かれています



日本国・古医薬学史跡

Japanese HistoriCal Sites of AnCient Medicine

日本国指定・登録有形文化財・片桐棲龍堂主屋その他
 
   Tangible cullural propertyreqistered in Japan・
   KatagiriSeiryudoandotherbuilding5attachedt()jl.

   堺市指定第一号名勝・片桐棲龍堂庭園


      「特別公開期間」以外は非公開

    SakaiCityDesignatedNo.|
    SCenlcGarden Katagiri Seiryudo Garden
    PleasenotethatitlsclosedtothepubliC
    except dUrlng the special exhibition
    periodforculturaipropertiesinSakaiCity・


   医薬学に関する歴史錦絵シリーズ・疫病

古来より、人々に火事や地震よりも恐れられていたのは流行病、つまり疫病(伝染病)だった。
7世紀に書かれた『日本書紀』には、疫病を疾疫、疾気(えやみ、えのやまい)の言葉が見られる。
また、江戸時代には、天然痘(疱瘡)、麻疹(はしか)、水痘瘡(水痘)は人生の「お役三病」とされ、
一生に一度しかかからないこの三つを無事に終えることが、健康面での最大の願いだった。
特に天然痘、麻疹は死亡率が高く、一度流行すると多くの人々が命を失った。

  天然痘には種痘が、普及して予防が可能になるまで、多くの人々が苦しめられた。江戸時代も絶えず
流行し、ほとんどの人が幼少年期にかかったが、「見目定め」といわれたように、命が助かっても
痘痕(あばた)が残ったり、失明したりした。親はできるだけ、軽くすむように、神や呪術などにもすがって
我が子の健康を祈った。症状から疫病神、疱瘡神などがとりついたものと考え、これをまつって
送り出すことも行われた。疱瘡神は撃退する敵ではなく、敬い、もてなし、送り出していく神であり、
そうすることによって、疱瘡という「お役」を通過することができると考えたのである。

 麻疹は現代とは異なり、20年から30年に一度の間隔で流行したので、大人になって初めて麻疹に
かかった者も少なくなく、医師の治療経験も乏しかったため大変恐れられた。文久2年(1862)江戸で
麻疹が大流行した時には、麻疹の患者、死者の数も膨大であった。効果的な薬もなかったため、
人々はまじないをしたり、生活や食事の養生に工夫を凝らすなどして危機を乗りきろうとした。

 

 
 
  片桐棲龍堂所蔵品                                  疫老神が手にする書状は牛黄の手形押し起請文
   一勇斎国芳 画 天保14~弘化4年(1843~47) 32×42       病の流行の終息の誓文書
   
     八丈島で疱瘡諸神が疫病流布撤退を誓い、鎮西為朝に牛黄神文誓紙提出、場面図

 
片桐棲龍堂所蔵の錦絵・医学資料は中学校、
高等学校の教科書、学術出版物、TV番組の
資料として無償で画像提供され、
海外でも医学歴史資産として評価されています。

 

  為朝と疱瘡神

枕屏風などに張って病児の平癒を祈った刷り物。天然痘は幼児が
無事に成長するか否か大きな関門であった。痘疹の色が赤いのが
よいとされたこと、
また、赤いという呪力への期待もあって、疱瘡絵や衣類などを
赤ずくめにするまじないが行われた。 

Tametomo and Smallpox God by Ichiyusai Kuniyoshi,1843-47,32x42cm.Katagiri Seiryudo Collection

Chinzei Hachiro Tametomo (also Minamoto-no-Tametomo,l139-70),hero and archer,was defeated
by ex—Emperor Sutoku in Hogen Revolt of 1156 and exiled to Hachijojima.
Reportedly smallpox did not exist therebecause he repelled its god.
Tametomo traditionally wards off evil and is a typical hoso-e motif.
Parents pasted this print on makura byobu(bedside screens),etc praying for their kids’ prompt recovery.

Smallpox was,so to speak,a gateway little children had to pass for healthy growth.
If the rashes turned red,reportedly they would recover;the colour drives away evi1.
Hoso-e and red garments were used as charms.


 


片桐棲龍堂の医薬学歴史概説

当家の歴史は太平記登場の「妻鹿孫三郎」の軍陣医薬学、兵法、撃剣を起源としています、
姓名は島津、妻鹿、目賀、音揃、片桐と時勢ごとに改名、薩摩妻鹿の嫡流を代々、継承してまいりました。
堺では400数十年、豊臣秀吉公より下賜の当地に医薬人、茶人として暮らしてまいりました、
血脈は約700年続いています、この度播州妻鹿の国府城主の直系が歴史的に判明。