表敬訪問を受けました。

  
   2015年9月  

   中国北京より「王笑頻」国家中医薬管理局の国際合作司司長が表敬訪問


王笑頻氏は日本はもちろん、世界各国を飛びまわり、中医薬の普及と国際化推進の立役者です。

使命として、WHOの各民族固有の伝統医学(中医学・インド医学=アーユルヴェーダ・アラブ医学=ユナニー医学)の学術的な評価と科学研究の展開で普及推進し、発展途上国・先進国でも伝統医学を重視する時の流れの中に、代替医学としての中医学を人類の遺産として、各民族に啓蒙することを心掛けておられます。

いずれ中医学が国際的な科学研究プロジェクトとして、各民族が伝えてきた固有の伝統医学と融合し、国際的に標準化された医療手段として定着すると予測しています。

我が国に伝搬された唐時代の中国医学は、室町時代から安土桃山時代に君子医として名高い曲直瀬道三により日本独特の察証弁治理論(中国医学では売薬を患者にあわせて処方する事が主流になっていましたが、患者一人一人の病に対して処方する本来の漢方の考え方)に変貌、確固たる日本独特の倭医薬学の礎になった様に、また臓腑理論(五臓六腑で構成される)が日本独自の腹部診断技術の発明にも繋がりました。

中医学理論と、まだ未知の各民族固有の診断技術の融合と科学機器の診断技術革命で、将来人類が共有する、大いなる遺産となる医学手法や診断の出現も予測できます。

片桐棲龍堂の医学古籍や看板、自家製剤の関連資料、手術道具、生薬標本、仏教医学資料、東大寺様関連の牛黄資料、西域の仏典、仏像、医療用の古典、蚕由来の薬、当家が誇る冬虫夏草の資料、黒焼き薬など閲覧され、楽しい一時を過ごさせていただきました。 随行はイスクラ産業の副社長陳志清、中医師でした。

 

               中国 国家中医薬管理局より刺繍の記念品をいただきました。
      
 
 
 

   片桐棲龍堂資料館の医学古籍や看板
  イスクラの陳副社長と東大寺様の牛黄の展示を閲覧

 
                
 中国の  霊獣 山海経 に記載の白澤の資料と疱瘡の展示資料閲覧
 

 ワシントン条約適用の以前に輸入された中国の医薬品および日本での適用生薬含有の
商品の展示閲覧。
 かつて”何でも鑑定団”で参考資料として紹介されたインド犀角(輸入許可証添付済み)を
手にして撮影。

(中国清朝時代の犀角の各種器のレプリカの説明と、ジャコウジカの骨等の資料説明。



 
                      
 くすりの看板 展示
 配置薬の資料一式 ウルユス ホルトス等の看板の説明

 
            
 北里 柴三郎 博士 直筆のツベルクリンを使用した明治中頃の診断書
 白金台の昔の住所が記載されていて興味深い。


 

  曲直瀬 玄朔 署名の医行集。杏雨書屋・毛利図書館・故宮博物館以外に
  類するものは存在を知られていない貴重な書類。涙墨の痕多数あり。

 

大同類娶方(だいどうるいじゅほうは、大同3年(808年)5月3日に成立した日本最古の医学書)
を閲覧。
本書は偽書のうわさあり、しかし井上周一郎氏(東京古書組合長)いわく、かなり信憑性のあるものと指摘されました。万葉かなで書かれています。

 
  
龍穴灯龍

奈良東大寺様の実忠和尚が笠置山の龍穴にて経験されたことが起源となって東大寺様に修二会(お水取り)が始まりました。二上山はかって王家の谷と呼ばれ、聖徳太子伝説の叡福寺はじめ不思議な聖地とされる場所が多々あります。

二上山からの龍脈が仁徳御陵にて分岐。一つは南宗寺の茶聖の武野紹鴎の墓に開口。もう一つは当家の春日灯籠に開口。

耳をすますと灯籠の竿下部より不思議な音が聞こえます。これは南宗寺の灯籠でも同じことが起こります。身体の邪気を除き、健やかになると伝承されています。
龍穴のご縁で東大寺様に牛黄を奉納させていただき、お慶びいただいています。

なおダビンチ美術館の館長が来られた時、最後の晩餐の名画が壁一つで空襲から焼け残った話を伺い、当家も堺大空襲から奇跡的に残ったので、2人とも共感して秘密スポットかと話し合いました。

 

   庭の茶室跡の萩を鑑賞



TOP