(グラフさかいView Vol.61に掲載)

薬の看板などが並ぷ資料館で、十七代目の片桐さんから
詳しい説明を聞く

江戸時代中期に建てられた片桐棲龍堂の前で

片桐棲龍堂の庭で、シュンシュンと地底から
風炉釜の沸とうするような龍穴特有の音が
聞こえるという灯ろうに耳を近づける。

莫方薬に関する貴重な資料が収められている
生活の中に歴史が香る西湊町

北旅寵町界隈と同様、第二次世界大戦の戦火を免れた西湊町もまた、江戸時代からの木造家屋が多く残る落ち着いたまち並みが魅力です。
現在では大阪湾に向かって西へと埋め立て地が広がりますが、昔は海までとても近かったのです。

−−(中略)--

中筋商店街を南へ行き、細い路地を左に曲がった奥に「片桐棲龍堂」があります。

 ここは、江戸時代に岸和田藩や和泉・伯太藩の御典医を勤めたという医家で、現在は漢方の専門老舗として知られる老舗です。十七代目という片桐平智さんが、通常は非公開である国登録有形文化財の片桐棲龍堂漢方資料館と片桐邸を案内してくれました。

桃山時代に豊臣秀吉から賜った土地に居を構えて以来、400年以上もの長きにわたり受け継がれた漢方薬や東洋医学に関する貴重な資料を一堂に集めた資料館は、まさに圧巻です。

「こんな奥まったところに、こんな広い邸宅があることも驚きですが、漢方とその歴史に関する片桐さんの博識ぶりがまたすごい」と、泉さんはいたく感服した様子。

西湊町と、今もここに住む人々が営々と築いてきた暮らしの並々ならぬ歴史の深さに、感じ入るところが多かったようです。

「古い建物やまち並みを保存し、観光資源として利用している所は数多くありますが、そのほとんどは外観の古さを残してはいても、中は現代的な土産物店だったり喫茶店だったりしますよね。

でも堺の場合は、その建物を使い続け、昔ながらの商売や暮らしがずっと受け継がれている。代々の産業や生活が同じ場所にそのまま残っているまちは、今の時代、本当に貴重ですよ」そして「出会った人たちは皆気さくで、それぞれに人間味がありました。

東京だと警戒して話もろくにしてくれないところが多いのですが、堺の人は間口が広くて、気楽に受け入れてくれました。かたくなに古いものを守るだけでなく、自分がいいと思ったものは積極的に取り入れようという進取に富んだ気性があるようですね」と泉さん。

魅力あふれる人々がいてこそ、魅力あふれるまちが形成され、歴史が積み重ねられていく。
そんな当たり前のことに、改めて気づいた一日でした。