片桐音之輔と民話伝説 堺が文化の時代、いまから二百年前はすぐ近くまで海岸線があり、 時々海賊の来襲もあり、そのため屋敷の廻りに家子郎党や 相撲取りを住まわせて、警護をさせ、何かの時は寺院の鐘を点いて 防戦にあたったと祖父の話でした。 そのころ、音之輔は大江氏の四天王で、武名と知恵者で誉れが高く、 紀州藩からも虎の藩印を押して出納奉行に仕官命があったのですが、 固く辞して市井で風雅に暮らす方を選択されたのです。 ある日、堺奉行所から、東湊の一里塚の方で毎晩、老婆の幽霊が出て、 旅人が怖がって、夜は人どおりも絶えて困っています、どうか原因を 確かめて欲しいとの依頼があり、音之輔は雨の降る晩に傘を差して、 提灯を持って一人で、一里塚に出掛けますと、なるほど老婆が暗闇で 踊っている様に見え、近づいて照らしてみると山犬やキツネが、 行き倒れの老婆の亡きがらを食べていて、燐の火が青く見えて、 その様子が幽霊に見えたと判り、翌日村人に丁寧に埋葬させると、 それ以来何もおこらなくなり、感謝されたとの事です。 大胆な人だったそうです。僅か六歳でひとりで天下茶屋の道場に 通って武芸を身につけた人物で、日月流という独自の剣法を編み出した と門人の記録が残っています。 山犬やキツネがいるほど当時は堺湊の土地も自然環境が良かったの かもしれません。 |