堺・片桐家の奥庭園「大仙栽」を修復

                                    伝・薮内紹智宗匠作庭

     庭園解説は堺市役所の広報課が報道資料として作成したものです。


 約400年の歴史を持ち漢方の専門老舗として知られる「片桐棲龍堂(かたぎりせいりゅうどう)」の奥庭「大仙栽(おおせんざい)」の修復作業が現在進められています。

 この「大仙栽」には、茶室へ続く外露地から内露地が自然と流れるがごとく、歩みに沿って続き、今回は、腰掛け待ち合に至る無数の飛び石と礎石が新たに発見されました。
 第二次大戦で堺市内の多くの庭園や茶室が消滅した現在、このように本格的な茶庭が現存していることは非常に珍しいものです。

 庭園部分は豊臣秀吉より恩賞として片桐家の先祖が拝領した土地の一部で、元和年間から古くから庭が存在したのですが、文化二年に片桐音之輔方矩が、旧庭園を大改築して京都より薮内宗匠を招いて、七つの茶室を建てて、居宅を栄松庵、千巣庵と呼び、大徳寺の座主を迎え、茶事ざんまいに明け暮れられたとの事で、往時の庭の一部が遺構として残ったのです。また特に奥の部分を「大仙栽」と呼び代々大切にしてこられました。

 江戸の初期と中期の庭の部分が混在していて、築山や池の遺構もあります。
 国の登録指定文化財建造物指定の茶館の部分とあいまって貴重なものと再認識されています。

 本年はこの「大仙栽」をできる限り江戸初期の当初の風情に戻す作業を行っています。埋没していた礎石や飛び石の掘り起こしの修復作業を中心に行い、この作業の中で、樹木や土砂に埋もれていた飛び石などの配置が確認できました。庭の中央部には当初、四阿(あずまや)が建ち、その北側には、砂雪隠(すなせっちん)などが配されていたことが分り、その様子からこの庭が本格的な茶庭であったことがうかがわれます。

 片桐家にしか残っていない数十年かけて種苗保存していた南京寺由来の利休に因む「堺五色散りツバキ」等の数種の南宗寺に因む薮ツバキを薬草園よりの移植や排水設備の土壌改良を行います。

今回の修復作業は英国王立キュー・ガーデン内日本庭園管理剪定指導の辻井造園が、日本各名刹の日本庭園の保存及びフランス ロス・チャイルド美術館内日本庭園管理や欧州各地の荒廃した日本庭園の造園復興の名手福原成雄(ふくはら まさお)教授(大阪芸術大学芸術学部環境デザイン学科)の監督管理のもと厳正に粛々と実施しています。
「片桐棲龍堂」

 片桐棲龍堂は堺市の北部、紀州街道と阪堺線とに挟まれた中筋の中ほどに位置する老舗の
漢方専門店です。敷地内には江戸時代後期に建築された主屋をはじめとする建築物がありま
す。主屋、東ノ蔵、中ノ蔵、摩利支尊天神社廟、西ノ蔵、洗い場、煉瓦塀が、平成12年10月18日に国の登録有形文化財に登録されています。また、西ノ蔵は日本では数少ない漢方医薬専門資料館として国内外の専門家から高く評価を得ています。

● 場所    「片桐棲龍堂」の奥庭園「大仙栽」 湊市堺区西湊町3丁1−16

● 所有者   17代目 片桐 平智(かたぎり よしとも)
※なお、「大仙栽(おおせんざい)」は非公開となっております
               作業の様子(平成19年5月9日撮影)

                 


2007年 平成19年6月の庭