この錦絵は日本で初めて開かれた博覧会を描いたもので、明治5年3月に文部省管轄の第一号の博覧会が東京の湯島聖堂で開かれ、15万人の入場客が詰めかけました。

画面中央には当時、皇室に献上された名古屋城の金の鯱鉾が展示され、大いに人気を博しました。高さが8尺7寸で尾の長さが5尺4寸、胴回り7尺3寸、金の鱗大小百余枚と当時の記録に残っています。

古今の珍しい骨董品が大量に展示され、本草学関連の動植物標本も含まれていました。往時の展示品の大部分が現在の上野の東京国立博物館に引き継がれています。博覧会の開催の布告が開催者が文部省博物館となっているので、第一号の博物館として紹介される場合もありますが、会期が20日問と限定されていて仮設会場なので、我が国で最初の博覧会として紹介するのが妥当だと思います。

資料は、松浦薬業株式会社(松浦 敬一社長)発行の“伝統と医療”の表紙に掲載された写真と解説を使用させていただいています。
(解説は片桐平智の執筆したものです。)