毎日新聞に掲載されました。

 ふらり 各駅停車
    阪堺電軌阪堺線 御陵駅前駅

  平成20年1月27日 大阪版


ふらり各駅停車:阪堺電軌阪堺線・御陵前駅 堺の歴史を語る町並み /大阪

 ◇400年の伝統「漢方資料館」

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。心地良いリズムを刻んで軌道を進むチンチン電車阪堺線。堺市堺区南半町東の「御陵前」電停に降り立つとそこには、市の中心部では戦災で失われてしまった古い町並みが残されていた。

 御陵とはもちろん、大山古墳(仁徳天皇陵)を指すのだが、同古墳までは御陵通を徒歩で20分以上かかる。古墳まで行かなくても、あまり知られていない堺の歴史にこの周辺で触れることはできる。さあ歩いてみよう。

 電停から南西に少し歩くと旧紀州街道に入る。同街道は、大阪と和歌山を結ぶ泉州地域を貫くルートで、江戸時代には大名の参勤交代などで栄えたという。通り沿いには木造の旧家が並んでいる。

 街道沿いに間もなく見えたのが「船待神社」(西湊町1)の鳥居。平安時代、藤原氏との権力闘争に敗れた菅原道真が、九州・大宰府に流される際に船を待ったといわれる場所だ。境内には道真が座ったと伝えられる腰掛石がある。

 街道を東に折れると、路地の奥に「片桐棲龍堂」(同町3)なる看板が見えた。「竜が棲(す)む屋敷」というおどろおどろしいネーミングに引かれ、立ち寄ってみた。

 ご主人の片桐平智さん(60)によると、片桐家は安土桃山時代、数々の武功により豊臣秀吉から領地を賜った。それ以来、ここに居を構え、江戸時代には岸和田藩や和泉・伯太藩の御典医を務めた医家で、今は漢方の専門薬局(現在は薬舗)を営んでいる。主屋に隣接する通常非公開の「漢方資料館」を案内してもらった。

 国の登録有形文化財で、先祖代々受け継がれてきた漢方薬をはじめ、東洋医学に関する貴重な資料が陳列ケースなどに整然と、しかし所狭しと並べてある。薬に使われた絶滅動物の内臓など、たくさんの珍しい資料と、それに関する片桐さんの深い知識にただただ驚くばかりだった。

 同じく非公開の奥庭も見せてもらう。「大仙栽(おおせんざい)」と名づけられ、片桐さんは、埋没していた礎石や飛び石などを掘り起こして昨年、江戸時代初期の姿に修復したという。「堺の古い町家や多くの庭園が戦災で失われた。江戸時代の風情が残る茶庭といわれていたので、屋敷の屋根をふき替えた時、修復を決意した。個人の家なので常時公開は難しいが、行政の指導を受けながら、期間限定のような形で一般公開し、堺の文化をより多くの人に伝えることができれば」と話していた。

 店の昼休みを使って見学させてくれた片桐さん。店前に戻ると、遠来のお客さんが開店を今や遅しと待っていた。

 御陵通を東へ少し行くと、南宗寺(南旅篭町東)があった。戦国時代に三好長慶が開山。大阪夏の陣で焼失したが、住職だった沢庵和尚が再建したもの。16世紀に建立された山門(甘露門)や仏殿、唐門は、いずれも国の重要文化財に指定されている。境内には千利休の供養塔や同時代の豪商の墓碑もある。

 また、狩野派作の障壁画などで有名な大安寺(南旅篭町東)や、狂言、歌舞伎の関係者が古典「釣狐」上演の際は訪れ成功を祈願する少林寺(少林寺町東)など、周辺には趣深いスポットが点在する。

 利休や与謝野晶子など著名な文化人の面影を求めて堺を訪ねる人たちに、ぜひ足を運んでほしいと思った。【高田房二郎】