産経新聞に紹介されました。

かんさい あの街この町(平成19年7月2日)

  大阪を創る(平成19年6月19日)


   かんさい あの街この町(平成19年7月2日)

 

 

 

「千利休の出身地である堺で茶庭を守りたい」と語る
漢方「片桐棲龍堂」17代目当主の片桐さん

店名の由来は「龍が棲む屋敷」。豊臣秀吉から武功で
土地を与えられ、桃山時代から館を構える。

歴代当主は岸和田藩や伯太藩(和泉市)の御典医をつとめ、
明治以降は家伝漢方薬の製造販売を行ってきた。

敷地内には江戸後期に建てられた主屋や、貴重な漢方資料が
収めている西ノ蔵など数棟の建物がある。

その奥には多くの文人墨客が飽きることなく眺めた茶庭
「大仙栽」(約600平方メートル)があり、福原成雄・
大阪芸術大教授(造園学)の指導で修復工事を6月に
終えたばかり。

当主の片桐さんは「この屋敷には胴回り30センチほどの
大蛇が守り神として潜み、当主がその蛇を目撃したら
間もなく当主が亡くなるそうです」と同家で代々伝わる逸話を語った。



     大阪を創る(平成19年6月19日)

  

大阪を創る


漢方老舗「片桐棲龍堂」17代目当主   片桐平智さん


江戸時代に大阪−和政山間の交易や参勤交代でにぎわった紀州街道。
堺市堺区に今も残る街道から細い路地を入ると、江戸後期の木造平屋建て屋敷
(国の登録有形文化財)一角に、創業400年を超す漢方薬専門の老舗薬店がある。

店名は「片桐棲龍堂」。名前の由来は「龍が棲む屋敷」 「縁起の良い龍穴の上に建つ
屋敷」とミステリアスだ。「庭に大きなアオダイショウがいるのを何度も見ました。
大蛇が潜んでいるのが、3つめの伝説です」と、17代目当主の片桐さんは笑う。
店の登録商標には双龍の絵が描かれている。

片桐さんによると、家系図は鎌倉時代までさかのぼり、安土桃山時代には備後で
水軍を抱え、豊臣秀吉の命で文禄の役に参加。それらの功績で秀吉から商人の
 まち・堺に土地を与えられた。その後、伯大藩(和泉市)と岸和田藩などが
抱え御典医を務めた。

「オランダなどと交易があった堺。の利便性をいかし、輸入しはた漢方薬を
仕入れていました」。江戸時代には、京都から庭師を招いて庭園を築き、
7つの茶室もあったという。現在も2つの茶室が残り、庭園は修復した。

修復前の庭園は後世に改修されるなどして、かっての趣が失われていた。
「マンションが増えるなど急速に都市化していますが、茶道を大成させた千利休
出身地の堺なので、茶庭を守りたかった」と思いを語る。

  「大仙裁」と名付けられた庭園を業内してもらった。江戸中期から後期の手法が
みられるという庭園(広さ約600平方メートル)は今月、個大で
修復工事を終えたばかり。東端に岩山の築山を造り、そこから滝を表し、
池には自然石の石橋を架け、「深山幽谷」を表現。
石橋の下からの水の流れが岩山をまわり込むように下る。

「堺の古い町家や神社・石橋寺にあった多くの庭園が先の戦災で失われた。
屋敷の屋根をふき替えしたとき、江戸時代の風情が残る茶庭といわれ、
修復を決意しま した」

 また、主屋と隣接する土蔵「西ノ蔵」では、全国でも珍しい漢方薬資料館を開設。
片桐家に伝承する医学資料など3000点以上を所蔵し、江戸時代の医師が持ち歩いた
携帯薬籠、漢方薬になった絶滅したニホンオオカミの胃などを展示している。

 いずれも現在、一般公開されていないが、「多くの人に見てほしい希望はありますが、
個人の家も兼ねているので難しいですね。行政の指導を受けながら、期間限定で公開し、
堺の文化、をより多くの人に伝えることができれば」と、 堺に対する熱い思いを語った。 
                                (持田浩一郎)


記者の見た目    取材では歴史学者のようでした。客がアドバイスされているのを見て、
疲れぎみの体をいやす漢方薬をお願いしたくなりました。

片桐平智さん
    堺市生まれ。大阪薬科大を卒業し、薬剤師になり、府衛生部(現・健康福祉部)に勤務後、
片桐棲龍堂を経営する。父親は開業医で、家族が昭和51年まで漢方薬を製造していた。
現在は仕入れた商品を販売しているが漢方薬を作っていた祖父の時代から引き
訪れている客も多いという。